チェリまほTHE MOVIEを観た

ドラマ版のチェリまほが
「なんか良いじゃないですか、これを見て誰かがちょっとでも幸せになれるなら」
というセリフで表されるのなら。

映画版のチェリまほは
「幸せな人が増える、これ以上のことはない。君たちの人生は、君たちのものだ。」
というセリフで表せられるのではないか。

 

 

以下、死ぬほど長い感想、というか覚書。

チェリまほTHE MOVIEを観て思ったこと。

 

 


チェリまほ THE MOVIEを見終えてから、ずっと感想を残しておきたいと思っていたものの、いざ書こうとすると何から書いていいのか全く分からなかった。
本当は映画を観た直後にいろいろとちゃんと言葉にしておきたかったんだけどな。

映画初見のあと散々いろんなことを感じたはずなのに、一緒にランチするために合流したお友達に感想を聞かれても「よ、よかった、、(尊)」みたいな薄っぺら感想しか口から出てこなくて、なんでかな?って自分でもちょっと疑問に思ってたんだけど、多分その理由は、原作未読でどこまでどう描かれるのか全く予想していなかったことと、映画からもらった物があまりにも大きく、1回だけでは受け止めきれてなかったことにあったと思う。
話のテンポ感も早くてどんどん進むから、2回見てやっとちゃんと受け取れた気がする、諸々のこと。

それに映画を観て、今の私じゃチェリまほという作品やチェリまほが扱う題材に対する考えも知識も語彙も全く足りないというのがありありと分かってしまったというところもデカい。他の方の素晴らしい感想読んじゃったら尚更。
もちろんチェリまほはラブコメでありエンタメであるというのが大前提なんだけど、全然それだけじゃないっていうのは作品を観たらわかることだから。

 

でも、今しか生まれない感情もある、はず。
もしかしたら安達黒沢に対してこの熱量とフレッシュな気持ちで好き!!!!!!!!!!!!!と叫べるのも今だけかもしれない。(自分自身の熱量が持続するかどうかという意味で。)
気持ちをここに放っておいて、無くなっちゃったら、意味ないもんね。
今の自分にはいろんなことが足りないということをちゃんと分かったうえで、感想残しておこうと思う。


と、まぁ、こんな重々しい出だしを書いときながら、ここからはポップに感想書いていくのですがね。
むしろ雑記。自分のための、覚書。

 


前半戦はもう、もう、悶えっぱなし。可愛いの応酬。
題するなら「そうそう!これが見たかった祭り 2022~春~」

結局まだ魔法が使えた安達が満員のエレベーターでちょっと居心地悪そうにしたのを目敏く見つけてそれにかぶせるようにしてデートのお誘いした黒沢が本当にかっこよくて優しくてスマートで。
そして追い打ちをかけるようにエレベーターから降りてヒラリとターンする黒沢優一よ。
原作の豊田先生も仰ってましたが黒沢200%で思わず「ンンッッッ…!」って声出たもんね。

キャンプデートも初詣もずっと楽しそうでキラキラしていて。
キャンプの道中「木!木!」っていう安達が可愛くて仕方なかったけど、黒沢も心臓溶けちゃいそうだったんじゃない???無事だった???ニジマスのくだりの10000倍かわいくなかった??????
初詣の参拝するとき黒沢がちゃんと手をずらすところ本当に大好きだった。めちゃくちゃ黒沢。
そうやって今の時間を思いっきり楽しんだり、「これからのこと」を愛おしそうに話したり、とても無邪気で穏やかな時間が流れていたの幸せでしかなくて、そんな二人の姿を見れて嬉しかったな~~。

 

長崎転勤のくだりでは、まず上司から話をもらったとき、嬉しさが最初に来た安達がとてもリアルだなぁと思った。
自分のやってきたことや頑張りが認められる、見ていてくれた人がいる、そして次の仕事やステップアップにつながる。それって大きな自信になるもんね。
からの黒沢や黒沢との生活のことも大事にしたくて、転勤の話を断ろうとしてしまうところも、ものすごくリアル…。

黒沢に一番に相談したかっただろうけど、そう出来なかったこと、きっと安達もすごく考えていたし迷っていただろうなぁ。

その後、あの橋で安達が黒沢に触れようとして気まずくなるシーン、死ぬほど胸が苦しかった。
「応援してくれるだろうと思っていた、でも、」って気持ちが顔に滲み出てしまっている安達。
だからこそ想像どおりに「すごいことじゃないか!」「俺は応援するよ」って言ってくれる黒沢の本音が知りたくて心を読もうとする安達。

それに気づいて咄嗟に出た言葉が「俺のこと、信じられない?」だったの苦しすぎる…!

「俺のこと、信じられない?」って、結構強い言葉だよねぇ。
相手に「そんなことないよ」と言わせるための言葉だし、相手にそれを強いる言葉のようにも感じる。
一番信じていないのは自分なのにね、黒沢ァ、、、!!
ここのシーンの一連の流れ、切なくて苦しいんだけど本当に素晴らしかった。
ずっと不安げな安達の表情はもちろんなんだけど、一連の黒沢の視線の動かし方、表情、声色、身体の向き、何をとっても素晴らしかったのよ。ドラマ11話のラストシーンを思い出すような、一挙手一投足すべてに意味があるようなシーンだったように思う。(円盤出たら繰り返し見たいシーン。)

そうやってすれ違ったまま、だけど相手のことを大事に思ってるからこそ、「元気だよ」「大丈夫だよ」ってうわべだけのLINEをしてしまっているのもずーっと胸が苦しかった。
あんな大きい手なのに、両手でスマホを包み込むように持ってLINEしてる黒沢の姿、とてもいじらしくて切なかった。安達とのLINEのやり取りでさえも、安達に触れるような感覚で大事にしているのかも、って感じた。

 

事故(仮)のシーンは、いま当事者の方々が本当に悩んでいることなんだろうなと思う。
自分の大切な人に何かあった時、何があったか知ることも知らせることも出来ない。
家族じゃないし、現状、家族にもなれない。こんなにも家族のように大切なのに。
なんでなんだろうね。一番近くにいたとしても、家族じゃないから知ることが出来ない。
逆にどんなに遠くても縁を切りたかったとしても、家族だったら知ることが出来てしまう。
なんだかなぁ。
でも周りの人からしたらそこの区別・判断ってとても難しいから、血縁関係があるかどうか婚姻関係にあたるかどうかが基準になってしまうのかなぁ。


そのあと長崎の夜、安達に「大丈夫か?」って聞かれて「大丈夫……………、じゃない、」って答えた黒沢…!!!!!
「寂しかった」って安達に伝えられた黒沢…ッッッ!!!!!!!!!!!!!!
言えた、言えた、自分の気持ち。ほんとうの気持ち。

豊田先生も仰ってたけど、黒沢の硬~い殻が少しずつ剝がれていくような感じがした。
ドラマ版で描かれていた「ルッキズムからの解放」、そして映画版で描かれている「男らしさからの脱却」。
黒沢の「完璧でいること」というある種の呪いが溶けていくような感覚があって、ここの黒沢を見れてめちゃくちゃ嬉しかった。
弱さと向き合うことも、弱い部分を誰かにさらけ出すことも、とても勇気がいるけれど、安達なら、安達とだから、見せられた部分。

今までどちらかというと黒沢から安達に触れに行くことが多かったけれど、ここで安達が黒沢の髪を撫でるのですよ。
黒沢を安心させたい、この愛おしい気持ちを伝えたい、っていう安達の気持ちの表れを感じてとても泣けてしまった。

キスシーンに関しては私はあの描写で大満足でした。というかめちゃくちゃ納得でした。
実際に唇が触れ合っている画ではなく手元のアップだったわけですが、あれだけで120%伝わってきたもん。
緊張感も、相手を大切に思う気持ちも、安心を与えたいっていう気持ちも、全部全部。
以前、監督のティーチインのレポで「キスシーンを直接見せないのは、いろんな人が見ることへの配慮でしょうか?」(意訳)という質問に、監督が「配慮ではない。直接的なキスシーンを映すよりも、触れ合うことで「心が通じ合うこと」を大切に描きたかった」(意訳)とお答えになっていたと読んだ。
そうなんだよね。いつだってチェリまほは触れ合うことを大切にしてきたし、ずっと切り取ってた。
手や腕、足が”触れる”ことで思いが伝わる描写がたくさん出てきて、今回のこのシーンもそれの延長戦上にあったと思う。
逆に手元のアップだけでこんなに伝わることあるか……?ってくらい。
すごく素敵で、すごく覚悟の見えるシーンだったように感じた。


ふたりで一緒に暮らし始めたのが安達の家っていうの、最初は「えー!?」ってなったのよね。
だって黒沢の家のほうが会社から近いし、広さだってあるし、安達の家はすでに物で溢れているし、安達が黒沢の家に住むもしくは二人で新居探すほうが良くない?ってなったんだけど、
「安達の好きなものに囲まれてみたかった」と楽しそうに話す黒沢を見て「ああ、そうか…こっちの理想押し付けてごめんね……」ってなった。
私だったら絶対広い家に住みたいけどね。そんなこと関係ないんだよね二人には…ごめんごめん。
そういえば家事の分担表、結構細かいところまで二人で分け合ってていいなーって思った。
どちらかが多くやるんじゃない。お互いにキチンと分け合うところ、とても良い。
(余談だけど2021年正月に放送された逃げ恥の新春SPでも、家事分担についてのシーンがあったことを思い出した。どちらかが負担するのではなく、出来ることをお互い平等に、というメッセージがこの二作品は共通しているなと思った。)

そういえば黒沢が朝にちょっと弱いとこ、教えてくれてありがとう安達よ。
お陰様で「ドラマ版の時、いつも頑張っていたんだなぁ…!」って新たな気付きを得ることが出来ました。
(思えば黒沢が「眠そう」な時ってなかったよね。いつもシャンとしてた。それも努力があったからこそなのだな。)
予告の時からずっと思ってたけど、寝起きで後ろから安達の肩に顎のせる黒沢…!!!本当に、本当に、大好きッッッッ…!!!!!!!!!(かわいい!!!!!!!!!!!)
安達作の朝ごはん(オムライス)を見て「もったいなくて食べれないっ…!」の黒沢も毎度笑っちゃうくらい可愛くて最高。
心に焼き付けちゃうの、わかるよ。(これが町田さんのアドリブなのもさらに最高)

 

安達おかえり会をしたあと、キッチンで片づけをしながら今自分が思っていることを黒沢に伝えた安達。
ドラマの序盤「俺はいいけど、お前が休んだらみんな困るだろ」と言っていた安達が、
映画では「理不尽に異動させられないように、会社でも必要とされる自分になりたい」と言える安達になっていた。
とても頼もしくかっこいい。こんなにも大切な人のために強くなれた安達を見てとても嬉しかった。
と同時に、このセリフを聞いてとんでもなく胸がしめつけられてしまった。
悔しい、苦しい。そんな理不尽あって良いものか。
大切な人のために努力することなんて往々にしてあることなのに、なぜこの二人だと、なぜ同性同士だと、なぜ「普通」と言われる人たち以外だと、こうやって必要以上の苦しい思いを何度もしなければならないんだろう。
その世界には間違いなく私も存在していて、全然切り離された世界なんかじゃないって改めて認識した。
ここを、現実世界でも、もっとちゃんと認識していなければと強く思った。

でも、その想いを伝えてくれた安達を抱きしめに行く黒沢は、十分にいつもの黒沢で。
良かったねぇ黒沢~!ってなったシーンでもありました。

 

安達家では、安達母役の榊原郁恵さんがとっても素敵だった。
安達母が「昔からまじめな清が選んだ人なんだから」って言ってくれたの、めちゃくちゃに愛情だよね。自分の子供への信頼。
きっとお母さんもとまどったりしただろうけど、安達母も強くて優しい人で、あの温かい雰囲気も本当に安達と似ていて「ちゃんと親子だなぁ」と感動した。
それにしてもこの家庭で育ったのになぜドラマ版ではあんな自己肯定感が低かったんだろうなぁ安達は。
安達父が「意志を持って選んだ選択は尊いものだ。清を選んでくれてありがとう」って言ってくれたの、黒沢も嬉しかったろうな。安達父のこの言葉は、恋愛や結婚だけでなく、人生すべてにおいて通じる言葉だと思うし。

それを受けた黒沢の表情は嬉しそうにも見えたけど、これから訪れる自分の両親への挨拶への緊張感も含んだ表情になっていて、なんとも絶妙だった…!

そういえば安達父が黒沢のことを最初は「黒沢くん」と呼んでいてけど、時間が経つにつれ「優一、くん、!」って呼んでいて!
その言い方がまじで安達なのよ…、ドラマ版で「デート」という単語を一生スムーズに言えなかった安達を思い出して、ここでもまた「マジの親子だ…」って感動してしまった。


黒沢家に行く前のあの公園のシーン、たまらなく好きだった。
ドラマ7話で黒沢が安達に救われたあの公園で、また安達に救われるんだよ。「一人で傷つくな」って「黒沢が弱ってるときは俺が強くなるよ」って安達が言ってくれた。
そうやって真っ直ぐ黒沢を見つめる安達がすんごく頼もしくて力強くてかっこいいんだよ。もう、ドラマ版初期の安達とは別人の様だった。
こういう安達でいてくれるから、黒沢も寄りかかれるようになったんだよなぁ。まだあった硬い殻をちゃんと壊していけたんだよなぁ。
Twitterでもつぶやいたけど、いつも「抱きしめにいく」黒沢が、ヨタヨタと安達に近寄って安達の腕の隙間からもたれかかるようなハグをしたの、ここもめちゃくちゃかわいくて愛おしくて…!!!!!!!もう、すんんんんごく良かった…!!!!!!!!!!!!!

 

黒沢家、というより黒沢母の動揺は全然あり得るものだと思っていて。
自分の知らない世界や感覚を受け入れたり理解するのって難しいことだけれども、まずはそれを「知ること」が大切なんだって感じたなー。
そして安達の想いが黒沢を変えてくれたように、安達は黒沢母の心も動かしたんだなぁ。ちゃんと、自分の言葉で。安達はすごい。
観客の私にとってはここまでたったの100分弱だったけども、二人にとっては長い時間をかけていろんなことを経ていたわけで。

その流れからの黒沢父の「幸せな人が増える、これ以上のことはない。君たちの人生は、君たちのものだ。」という言葉は本当に心にズシンと響いた。
2回目見た時、ここでめちゃくちゃに泣いてしまった。本当に、その通りだ。


海のシーンはどこを切り取っても美しくて感無量。
お互いに指輪をはめ合って太陽に手をかざすシーンはドラマ版OPともリンクしていてグッときた。

指輪のサイズについて聞かれた時「寝てる間に計った…!」っていたずらっぽく笑った黒沢が、本当にリラックスしたいい表情でさー。なーんか嬉しかったなー。
二人でコソっと話していたのも、こちらには何を話していたのか教えてもらえなかったけど、それでいい。二人だけの秘密があってもいいのよ。

ちなみに、1回目観たあと監督のインタビュー記事か何かで(何だったか忘れた…)このシーンについて「風は吹いていないのに海は少し荒れていて、これからの二人の未来が綺麗なものだけでなく険しさもあるということを映せたのでは」と仰っていて、2回目観たとき「ほ、ほんとだ…!」ってなった。そういうのって撮ろうと思って撮れるものではないだろうから、自然が味方するってこういうことなんだなと思った。

 

 

結婚式のシーンについては見る人に解釈が委ねられているわけだけど、私は「これからくる未来」だと思っていて。言ったらまだ想像(理想)の段階。でも絶対にくる未来だと信じていたい。

結婚式のシーンの時にだけ映像の雰囲気が違うことや、セリフが全然無いことからも、実際にはまだ行われていないんじゃないかと思う。それに実際いまの日本では結婚が出来ないわけで。
でもこれから、二人が歩いていくこれからが、あの結婚式のシーンであったらいいなと思う。
大好きな人と結婚が出来て、それをたくさんの人に祝福してもらって、幸せを感じられる未来。
当たり前のことだけれど、性別が違うだけで当たり前ではなくなってしまう現実。
チェリまほはフィクションと現実の境目が曖昧だからこそ考えさせられる。
でも考えてるだけじゃ、多分これからも変わっていかないんだよ。
自分には、何ができるのだろうか。当事者ではない自分は、もっときちんと丁寧に考えていかなければならないとも思ったな。

 

 

ラストシーンはキャッキャウフフの幸せオーラ全開というわけではなく、緊張した面持ちで、手を繋ぎながら歩いていく2人のカットだった。
歩き出す前の黒沢の「行こうか」という言葉は、少し重めのニュアンスだったように思う。
だけど、キャンプデートの時でさえあの人気のない滝のところでしか繋げなかった手を、今度は安達から求めて、堂々と、たくさんの人がいる道で繋いだのよね。

最初にすれ違った男女カップルは、ふたりが手を繋いで歩いている様子を見ながらヒソヒソ話している。
それでも前だけを見て歩いていく二人を、最初はチラチラ見る人がいたけど、だんだんそんな人は居なくなっていった。
それに伴って、最初は安達黒沢と反対側から歩いてくる人ばかりだったけど、だんだんと二人と同じ方向に歩いていく人も増えていった。
ほどなくして安達黒沢の様子がほんの少しだけ和らいで、繋いだ手を揺らしながら歩いていくようになる。
ここで安達父の「意志を持って選んだ選択は尊い」という言葉と、黒沢父の「君たちの人生は君たちのものだ」という言葉を思い出して号泣してしまった。
これらの言葉は安達黒沢の二人にも深く響いているんじゃないか、だからこそどんな時でもどんな場面でも、力強く歩いてゆけるんじゃないかって思った。

そして、ああ、こうやって世界が変わっていけばいいのにって心の底から願った。

今から急に世界も認識も変わるわけではないけれど、でも、だんだん変わっていくことは出来る。今がその道中だと信じたい。
もちろん早急に変われるのならそれに越したことはないのだけれど。
ふたりの覚悟と現状、そしてこれからの未来が祈るように描かれていた、とても大切なラストシーンだったように思う。

 

平日深夜のドラマだから見てくれた人にとって心に残る作品にしようって粛々と作り上げていったことが、
「なんか良いじゃないですか、これを見て誰かがちょっとでも幸せになれるなら」(ドラマ最終話、六角のセリフ)という台詞に集約されているのなら、

この作品が世界に広がって映画化にまでなり、ラブコメでエンタメであることを基盤としながら、今の日本の社会問題に一石を投じるような作品になったことは
「幸せな人が増える、これ以上のことはない。君たちの人生は、君たちのものだ。」のセリフに集約されていたと思う。

 

ただただひたすらに、安達と黒沢に幸せでいてほしい。

自分にとって大切な人と、幸せでいてほしい。
その地続きにいるのは、間違いなくこの作品を104分間観てきた私たちなんだと改めて感じた。

 

安達黒沢のことばっかり書いたけど、柘植湊ペアも六角も藤崎さんもとってもとっても大好き。
みんなお互いの幸せを願える人たちばかりだから、みんなにも幸せでいてほしい。

そうやってそれぞれに、それぞれの形で、幸せでいれたらいいよね。

 

 

 

※めちゃデカいうどんちゃんブローチを結婚式で付けてくる柘植、とても良かったです…!!w