KAT-TUNと私(赤西担)の10年間。

4/29・30・5/1とKAT-TUN LIVE TOUR 10Ks! in 東京ドームに行って参りました。

KAT-TUNの10周年ライブ「10ks!」、すこぶる楽しかった!!!!!!

 

KAT-TUNもファンも10年間よく頑張った。私はファンとして勝手についてきただけなんだけど、それでも、いろんな思いをした。楽しい思いも、悲しい思いも、いろいろ。ファンなんだからいつだってこの船を降りれる。乗り続けなきゃいけない義務なんて全く無い。だけど現在までKAT-TUNのファンを辞められなかったのは、ほんの少しの申し訳なさと、いつでもKAT-TUNKAT-TUNで居てくれたそのカッコ良さにあったと思う。

 

私がKAT-TUNを好きになったのは2006年。KAT-TUNがちょうどデビューする頃だった。当時赤西くんにハマっていた友人に海賊帆のムラサキの動画をひたすら見せられ、赤西くんの情報を聞いても無いのに教えてくれ、そしてハマった。ちょろい。サブリミナル効果って本当にあるのな、って思った。

明確にハマった月日は覚えてはいないが、デビューの頃だったので様々な歌番組でReal Faceを歌う彼らや、水族館でNEVER AGAINを歌う謎演出や、24時間テレビの司会が決まって武道館をバックに歌う彼らを見たのはよく覚えている。最初は赤西くんにしか興味がなかった私も、見れば見るほど、知れば知るほど、6人全員を好きになっていったので、この露出が多い時期に好きになれたのは本当にありがたかった。

 

その後、赤西くん留学。そして復帰。そして脱退。

 

一行でまとめてしまったけど、この一行の期間が私にとってはカツンヲタ人生の中で一番濃かった。

留学した時は寂しくて寂しくて仕方なかった。好きになりたてだったからというのもあったと思う。この留学の時の半年が今までの人生の中で一番長く感じた半年だった。それでも赤西くんの居場所を無くさないように「期間限定5人組です」って言ってくれてた5人がありがたくて、KAT-TUNを応援し続けた。

復帰の記者会見の時は学校からダッシュで帰ってWSを見て、「ああ、6人いる」って思って嬉しすぎて泣いた。私が赤西くんを好きだと知らない男友達に「WS見たけど赤西ってあんまり英語しゃべれてなかったよね?」と言われて、でもその当時ジャニヲタを隠して生きてたから「英語がしゃべれないんじゃない、凄まじい緊張の所為なんだよあの脇汗見ろよジャケットなのにあの脇汗だぞアァン?!」と心の中でだけ言い返して、全力の肩パンチをお見舞いした。理不尽すぎる。ごめんね。

 

そして私にとっての初めてのカツンコンは2007年のツアー「cartoon KAT-TUN Ⅱ you」の最終日東京ドームだった。赤西くん復帰直後(しかも途中参加)のツアー。

初めてのコンサートでは「本当に存在するんだ…え、動いてる…、あっ無理かっこいい…」ってなったのを今でも覚えてる。登場シーンからカッコ良さの極みだったし、彼らがトロッコに乗って手を振ると、その目線の先に居る何百人という人達が手を振り返して声援を送る。衝撃だった。大興奮だった。この場に居れたことに感謝しかねぇ!と、申し込みの手続きをしてくれた友人に何度もありがとうって言った。

 

そうやってずっと熱量高く、純粋に好きと言う気持ち一つでKAT-TUNというグループを応援していた様に思う。

赤西くんが脱退するまでは。

 

2010年の春、赤西くんがKAT-TUNから離れて一人でアメリカでライブをすることになった。2way。カッコつけて英語で言ってんじゃねぇよと腹が立った。KAT-TUNのツアーの方が先に決まってたと聞いて何でだよって思った。KAT-TUNを大事に出来ないなら個人仕事なんかやめちまえ、くらいに思ってた。

ネット上では「もう赤西は帰ってこれないだろう」とか「KAT-TUNは解散だろう」とかたくさん言われてたけど、その頃の私は彼らの発信した「脱退・解散は無い」って言葉だけをどうにか糧にして応援してた。また帰ってきてほしいと縋るような思いで。

 

でも赤西くんはKAT-TUNに帰ってこなかったんだなー。

どんだけ願っても帰ってこなかった。おかえりって言わせてくれなかった赤西くんに物凄く大きな悲しい気持ちを抱いた。

KAT-TUNには大きい事、小さい事、いろいろ迷惑をかけました」

「ごめん、ありがとう、そして楽しかった。」

そう言って赤西くんは一人で次の場所へ行ってしまったのだ。

 

その頃KAT-TUNはちょうど「KAT-TUN -NO MORE PAIN- WORLD TOUR 2010」の真っただ中だったし、同じ頃に上田君はソロコンもやっていた。私はどっちにも参戦した。カツンコンに関しては初めて遠征もした。「赤西くんが居ないのに行くの?」とたくさん言われたけど「行くよ。私はKAT-TUNが好きだから。」と即答だった。 

でもその好きな気持ちと同じくらい、勝手にKAT-TUNに対する申し訳なさをいっぱい抱えてた。

自分が担当にしている赤西くんがKAT-TUNにたくさん迷惑をかけたのだ。5人の事も赤西くんと同じくらい大好きな私としては何とも言い表せない複雑な気持ちだった。ひたすら5人に対して申し訳ないと思ってた気がする。「どの立場でモノ言ってるの?」と聞かれても「ただのファンです」としか言いようがないのだけれど、ずっとそんな気持ちがあった。

そしてその頃発売された雑誌で中丸くんがこれまでのKAT-TUNについて「疲れた。次々予期せぬ事態が起きたから。」と語ったことがあった。あの中丸に「疲れた」と言わせたのだ。その全てが赤西くんの事とは限らない。明記はされてない。でも私はどうしたってその全てを赤西くんの事と思わずにはいられなかった。 

そんな事もあり、赤西くんが抜けてからは「5人が好きだから」と言う気持ちと、「申し訳ないから」という2つの気持ちを両脇に抱えながら応援し始めた。

 

そして聖が脱退した。

 

CHAINコン楽しかったのに…ずっとKAT-TUNでいると言ってくれたのに…。むちゃくちゃショックだった。そして悲しみより怒りだった。「再三の注意があったのにもかかわらず?」「自分がやりたい事をKAT-TUNより優先させた結果…?」きっと、どうにか出来たことだったのに、どうにも出来ない状態になってしまったのだ。悔しかった。

FCメールが届いたあの日、リーガルハイの放送日だった。どんなテンションで見ればいいのか分からず、面白かったけど泣きながら見てた記憶がある。正直頭を鈍器で殴られた様な衝撃だったからその時の感情はあんまり覚えてない。

 

 KAT-TUNが4人になった。

 

この頃からKAT-TUNの快進撃が始まったように思う。初めての単独カウントダウンコンサート。そしてバラエティーにも積極的に出演し、レギュラー番組もグループとして2つ持った。それも「タメ旅」と「少年倶楽部プレミアム」という最強の布陣。いろんなKAT-TUNが見れた。今までコンサートのMCでしか見れなかった様なワチャワチャしたKAT-TUNが毎週見れる!(タメ旅)、コンサートの様な高いクオリティーの歌とダンスが月一で見れる!(少プレ)、自分の好きなグループがこんなに恵まれてるなんて!!

純粋に楽しかった。初の単独カウコンやカムヒアで遠征もしたし、グループのレギュラー番組はもちろん、個人のお仕事も出来る限りチェックした。一人ひとりに着目する時間が長くなったからもっとKAT-TUNが好きになった。そのお蔭でKAT-TUNを応援するにあたって、今まで自分が勝手に抱いていた「申し訳ない」という気持ちがググっと減った。それを減らしてくれたのは、時間もあるけど、何よりここまで来てくれたKAT-TUNの頑張りだ。申し訳なさを抱かれながら応援されても、嬉しくないだろうなぁ彼らは。ってこの頃やっと思えるようになった。

 

田口くんが脱退することになった。

 

ここ数年で一番目に見えて成長していたのは田口くんだったように思う。歌を歌えばハモリが得意で音程は抜群に安定していたし、表現力がとても豊かだった。ダンスを踊ればダイナミックさとしなやかさと繊細さを供え持ち、息を吸うように踊る姿はみんなを虜にした。一人でラジオ番組を担当し、MC力もバラエティー力も高まっていた。個人的には「これから」が一番楽しみな人だった。

最後の最後まで田口くんは笑顔でKAT-TUNを全うしてくれた。さすがエイトの横山くんやすばるくんに「田口が一番KAT-TUNやな!」と言われてただけある。

最後にMステで花束を貰ってKAT-TUNを終える田口くんは本当に素敵だった。寂しいし辞めてほしくなかったけど、ちゃんとバイバイ出来たことは良かったなと思う。

 

KAT-TUNが3人になった。

 

KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR "10Ks!"」が幕を開けた。私は今回遠征できなかったから初日はレポをワクワクして待ってた。最初に流れてきたレポで見たのが「海賊」という文字だった。瞳孔が開いた。「やりやがった!!!!!!」とむちゃくちゃテンション上がった。鼻息も荒くなった。海賊がテーマのコンサートは8年ぶり3回目。KAT-TUNには海賊が似合う。もう一度言う。KAT-TUNには海賊が似合う。

実際に私が参戦したのは東京3日間。

求められていることを理解して、自分たちがやりたい事もやる。今回やりたくてもやれなかった事ももちろんあるだろうけど、需要と供給がガッチリはまってる感じがした。

「充電期間前、最後のライブ」というのはもちろん事実なんだけど、それ以上に立派な「デビュー10周年記念ライブ」だった。

そのライブでは曲はもちろんのこと、曲間のおふざけタイムまで過去にやったものを持ってきた。TEN-Gや中丸クリニック、ボイパのコーナーでさえも。いちいちコーナーの説明をしていたのは初めてKAT-TUNのコンサートに来た方にも分かる様にという配慮だったのだろう。ちゃんと年数も言ってたからどのコンサートDVDに入っているか分かり易いよなぁと感心してしまった。

最大の魅せ曲「UNLOCK」ではかっこよすぎて泣く、という展開に自分で驚いた。あのレーザーの海、水柱、爆発を見て「ガッゴイ〝イ〝ーーーー…」って言いながら泣いた。

10Ks!は今まで私が参加したコンサート(2007年以降)の中で一番優しさで溢れたコンサートだったように思う。初めて来た方、一度でもKAT-TUNを応援した事がある方、ずっと応援してきたファン、すべての方を優しさで包み込んでた。

 

最終日の公演は、何ともいえない特別な空気があった。

どう表現したらいいか分からないけど、KAT-TUNもファンも「やってやる」って気持ちだったんじゃないだろうか。開演前から今まで感じたことの無い一体感があった。コンサート中はKAT-TUNはファンへ、ファンはKAT-TUNへの感謝の気持ちや愛情を終始ぶつけ合っていた。

いろんな場面で涙したけれど、最終日アンコールで「泣くなよ!」「笑え!」ってKAT-TUNが言ってくれたから、泣いた所為でほぼスッピンに戻っても笑顔でいれた。

トリプルアンコールでリアフェを歌ってくれた後、「もう一回!もう一回!」ってコールが巻き起こった。それに対して「俺たちをあんまり困らせるなよ」ってまんざらでもない表情で言う3人がめちゃくちゃ可愛かった。

そして最後のアンコールに選ばれたのは「Peacefuldays」。これは最高の選曲だったと思う。「絶対に戻ってくるからな!」と誓いは立てるけど、今までしてきた「また必ずここで会おう」というハルカナ約束を、敢えて彼らはしなかったのだ。とてもKAT-TUNらしいじゃないか。

最後の最後に歌ったPeacefuldaysは今まで見てきたそれの中で一番の盛り上がりだった。「K・A・T・T・U・N!」と、ただひたすらに大好きな彼らの名前を叫んだあの一体感は何物にも代えがたい最高の時間だった。

この一体感に感じた幸せも、3人の笑顔も涙も、抱きしめ合う姿も、きっと忘れないだろうな。

 

5月1日の公演でKAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR "10Ks!"」は幕を閉じ、KAT-TUNはグループとして充電期間へ突入した。

それを皮切りに私のTwitterのTLは過去映像・過去画像・過去エピソードのオンパレードになった。そして現在進行形でなっている。ちょっとちょっと…、めちゃめちゃ楽しいんだけど…!みんなだけでまた時空の旅へ出航してたの…?!私も混ぜてっ…!!!!

私がファンとして居心地の良い空気感はこれだ、と思った。赤西くんがKAT-TUNを抜けた時、もう赤西担である自分はここに居場所が無いとすら感じてた。どれだけ他のメンバーを好きでいても、自担はそこにいないからだ。

でも今は人数関係なくKAT-TUNというグループを愛して、思い出したり懐かしんだり盛り上がったり新しい発見をしたりして、ファンがそれぞれに楽しく過ごしてる。この現状を見て、まだ少しだけ残っていた「申し訳なさ」がすべて消えた。もちろんTwitterのTLなんて自分で作るんだから、如何様にも出来るのだけれど、私のTLはいつだって前向きで楽しい。

もちろん辞めた人達を許せない方が一定数いるのは分かってる。Twitterとかで「脱退担はお呼びでない」とか「A担お断り」とか未だに言われてるのも知ってる。それを見てちゃんと傷ついてますよ。あーそっかー、って傷つく必要なんかないのにやっぱりどっかで傷ついたりするんです。

でもそれでも、私はKAT-TUNが好きだからまだ彼らを楽しく応援したい。

 

充電期間中、彼らが望んでいる様に個人の活動を追うのももちろん大事だけど、彼らと共にファンとして充電期間に入ろうというのもいいと思う。一旦見つめ直したり、別のグループを見てみたり、ここをゴールにしたり。それは個人の自由だ。

ただ、私も「KAT-TUNを好きでいたい」。

KAT-TUNについていけば素敵な景色がまた見れるはずだと信じてるし、私はKAT-TUNのホームである東京ドーム公演が世界で一番大好きだから、またKAT-TUNのファンとして東京ドームに帰ってきたい。だからそう出来るように彼らを応援したい。いつかのKAT-TUNに恥じない自分でいたい。

 

KAT-TUNを好きになって10年。楽しい事も悲しい事も、上に書いたようにいろいろあったけれど、でもずっと幸せだった。

赤西くんを好きになって、KAT-TUNを好きになって、赤西くんがいなくなっても好きでいさせてくれるKAT-TUNがいて。 本当に幸せだ。

10年、KAT-TUNという船を降りずに、一緒に乗り続けてきて良かったと心から言える。

 

 亀が最終日の挨拶で「未来を作り続けていく」と言っていた。

さて、これから向かっていく未来、どんなものにしていきましょうかねぇ。